【2024注目の逸材】
みなと・はると湊 陽翔
[埼玉/6年]
よしかわ吉川ウイングス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、中堅手
【主な打順】二番
【投打】左投左打
【身長体重】148㎝37㎏
【好きなプロ野球選手】今永昇太(DeNA)、周東佑京(ソフトバンク)
※2024年12月10日現在
きれいに立って、きれいに腕が振られる。その一投を見ただけで、いかほどのピッチャーであるのかの察しがつく。より知りたくなるのは、どのようにしてその投げ方が身についたのかということ。
「お父さんが社会人野球までピッチャーをしていたので、教えてくれます。ピッチャーは3年生の秋から。自分の良いところは? ストライクをポンポン取れるところ。将来はお父さんのように? はい、なりたいです! 来年はマックの全国大会(全日本学童大会)に行って、ピッチャーとして活躍したい」
湊陽翔が揚々と話したのは、1年以上も前。2023年10月21日、新人戦の茨城大会優勝時だった。きりっとした目鼻立ちと痩身は今も変わらない。
5年秋、オール東海ジュニアのエース兼六番打者として茨城大会優勝に大きく貢献(2023年10月21日、ノーブルホームスタジアム水戸)
でも、当時の写真をあらためて見返すと、今よりもはるかに細くて小さかった。140㎝32㎏で、最速は92㎞(球場表示)。現在は148㎝で38㎏。球速は未計測だが、100㎞は超えているだろう。
「将来の夢? 野球を長く続けたいと思っています。今のセールスポイント? 勢いのある真っすぐと、けん制とか。一番意識しているのは、どれだけのスピン量(球の逆回転)が出せるか。『プロのフォーシーム(直球)は2500回転以上』とか、自分で調べるのも好きです。お父さんの友人に、お風呂の湯舟の中で手首を鍛える方法を教えてもらって、いつもやっています」
小学生にとっての1年間とは、大人が思う以上に濃くて尊いようだ。まして湊の学童ラストイヤーは、特異なものだった。保護者の仕事の都合で、6年生の新学期を前に茨城県から埼玉県へ転居。袖を通すユニフォームも変わった。
「引っ越すと聞いたときは、すごく嫌でした。チームも移りたくなかった」
こう振り返る湊は、妹と2人兄妹の長男坊。極度の人見知りで、新しい環境になじめるのか。母・琴絵さんは不安だったというが、今では息子と同じことを口にする。
「吉川ウイングスに来て、ホントに良かったです。感謝しかありません」
父・哲郎さんは東京出身。日大高(神奈川)から日大を経て、社会人の名門・日立製作所でもプレーした右腕だ。現役生活はケガとの闘いでもあり、苦しんだ思い出が大半だという。
「ケガすると何もできないし、面白くない。野球を含め、何かを息子に強制したことはありませんけど、本人が(教えを)求めてきたときには無理のない投げ方、肘や肩が痛くならない投げ方をするべきだよね、と。体にまだパワーがないので、柔軟性を高めるとか手足の良い動かし方とか、自分で学べることもたくさんある。私が子どものころは参考書みたいな本しかなかったけど、今は動画もあって情報がいっぱい。うらやましいなと思います」
全国出場をリアルに描く
1年前の新人戦に話を戻そう。湊が所属したオール東海ジュニア(茨城)は、2012年と14年に全国出場。友人の誘いで2年生の終わりに入団した湊は、5年秋の新チームからエースとなり、10年ぶり3回目の県新人戦優勝を果たした(リポート➡こちら)。
大会最終日の準決勝と決勝はコールド勝ち。湊はどちらも先発し、準決勝は2回1安打無失点。“関東の雄”茎崎ファイターズとの決勝は、3回までパーフェクトピッチで、4回に初安打と2盗塁を許し、内野ゴロで1点を返されたところで既定の70球に。
攻撃面でも華々しい活躍だった。2試合で7打数4安打4打点。三塁打(=上写真)と二塁打とライトゴロが1本ずつあって、本盗(重盗)を含む4盗塁を決めた。
チームにはまた、同じ左腕の黒川歩輝主将に、サク越えアーチを放った大木颯真らタレントが複数。大会最多10回の優勝を誇る茎崎をも寄せつけない、圧倒的な内容で県の新人王に。湊が言い出すまでもなく、翌夏の全国出場を誰もがリアルに描いていた。
しかし、先述のようにエース左腕は、家庭の事情で袂を分かつことに。それでも3月の末、東日本交流大会の開会式で、湊は元チームメートたちと再会。取材者の求めに応じてだが、黒川主将とは握手を交わして写真に納まり、健闘を誓い合っている。
智将との出会いと即断
「去年の12月のある大会中に、知り合いの監督から『茨城の優勝チームのエースが埼玉に引っ越すよ』という話を聞きまして。埼玉に来るんだったらウチに来てくれないかな、と内心で何となく」
吉川ウイングスの岡崎真二監督は、1年前の顛末をよく覚えている。初耳のニュースから1週間もすると、「湊」と名乗る母親から携帯電話に「息子の体験依頼」の連絡が入った。そこであらためて、茨城新人戦の記事を読み返し、「引っ越すエース」と「湊陽翔」がイコールで結ばれたという。そして、体験にやってきた左腕を見ての率直な感想がこれだ。
「線が細いけど、投げても打っても走ってもカッコいい。特にピッチャーとしては、マウンドさばきも含めて非常にセンスがある」
岡崎監督はコロナ禍の自粛期間中に、チームの宿願だった法人化(NPO法人)を実現。2021年には、17年ぶり2回目の全国出場も果たしている智将だ。半世紀に迫るチームの伝統と『一生懸命&思いやり』のモットーを重んじながら、合理的で効率性を伴う練習を主導する。
そこへ体験にやってきた湊は、即日で入団を決めたという。
「練習がすごく楽しかった。みんな明るくてレベルが高いし、団結力があるなと感じました」
実は移籍先の候補を複数リストアップしており、それぞれ体験入部してから結論を出す予定だった。だが、1チーム目の体験初日で進路を即断した長男に、帯同していた母も迷わず同意したという。
「本人が『とても楽しかった!』と声が弾んでいましたし、同級生も下の学年の子もすごくフレンドリーで、野球もうまい子ばかり。ピッチャーだけの投げ方の練習もあったりして、私も安心してお任せできるな、と」(琴絵さん)
人知れず、もがいた日々
どちらかといえば、クールで感情も読み取りにくい。それでも湊はやはり、埼玉の全国区のチームに来ても、投打の整ったフォームが目を引いた。
移籍するや3月の吉川市近隣大会優勝にも貢献(リポート➡こちら)
ところが、新学期もスタートしてばらくの間は、思うようなパフォーマンスを発揮できなかった。否応なく高まる期待に見合うだけの結果も出せずに、もがいていたという。
「いろんな強いチームとやって、すごい選手がたくさんいるのが分かりました」
もちろん、新しい生活環境でも平日の自主練を欠かさなかった。投打の理想的なメカニクスなど自ら情報にアクセスし、シャドーピッチや素振りに励む。でも、すぐに成果が出るものではない。入浴時に好きな歌を思い切り歌うのが、独自の気分転換法だという。母は当時をこう回想する。
「埼玉のレベルが高いのと、ウイングスは県外の強豪チームとの試合も多かったので、茨城にいたころよりも打たれることが多かったんです。やっていけるの? みたいな雰囲気も最初のころはありました」(琴絵さん)
指揮官はもちろん、失望を口にしたり、匙を投げるような輩ではない。悩める左腕に寄り添い、効果的な配球や打者との駆け引き、走者を先に進ませない術など、引き出しを増やすサポートをした。
「動作の細かいところまで、手取り足取りの指導はしていません。湊クンは外野の守備もバッティングもできる選手で、走攻守で優れていましたので、センターの守備での安心感とか、そういうところから徐々にチームに溶け込んでいったのかなと思います」(岡崎監督)
新天地で本領を発揮し始めたのは、初夏を迎える前あたりから。球威も制球力も目に見えて進歩し、背番号1にもふさわしい、クレバーで粘り強いピッチングで勝利を呼び込んでいくことに。
5年秋の新人戦は吉川市大会で早々に敗退。そんなチームに湊が加わり、6年生が8人となって挑んだ6月の全国予選は、埼玉大会4強まで勝ち進んだ。準決勝で猛打の山野ガッツ(全国2回戦進出)に敗れたものの、前半戦は試合をリードするなど見応え十分の好勝負を展開した(リポート➡こちら)。
夢破れたナインは号泣。肩を落として嗚咽をもらす湊もすっかり、ウイングスの一員になっていた。そして「冬の神宮」(ポップアスリートカップ全国ファイナル)へと目標を切り替えて歩み始めたチームで、絶対的な信頼を勝ち取っていくことに。
「ウチはバッテリーを中心に守りから入るチーム。湊クンが投げると、そういうリズムに乗りやすいというか、雰囲気が出るようになって。彼がマウンドに立つことで、化学反応のようなものが起きているのではないかと感じる試合が増えてきました」(岡崎監督)
集大成のマウンドで躍動
真夏を経ての約3カ月間、ウイングスは練習試合を含めて白星街道を突き進んだ。敗れた相手は、山野ガッツ(公式戦で2敗)のみ。そして勝てば「冬の神宮」が決まるという大一番で、背番号1が集大成とも言えるピッチングを披露した。
ポップ杯ファイナルの関東第1代表を決める一戦の相手は、夏の全国出場を果たしていた東京のしらさぎ。先発した湊は6回まで1人で投げ抜き、失点はスクイズによる5回の1点だけだった。打線が無得点に終わり、またも全国舞台を前に涙したものの、指揮官はエースを絶賛した。
「テンポよく投げて、守る仲間たちがしっかりサポートしてアウトを重ねていく。最後の最後に最高のピッチングを見せてくれました。スクイズで点を取られるのは監督のミスなので。読んで外せなかった私に敗因があります」(岡崎監督)
負けて満足するチームではないが、大舞台への6年生の挑戦はこれで終わった。仲間と歩んできた道程には、湊は納得していると語った。
「全国には行けなかったけど、最後に思い通りのピッチングができました。みんなでやってきた結果なので悔いないです。それと、お父さんから『よく投げたな』と言われたのが、すごくうれしかったです」
尊敬する父親から、野球のことで率直に褒められたのは初めてかもしれないという。同じ野球人の父・哲郎さんは、長男の未来についてこのように話している。
「中学では硬式野球にいくようですけど、自分でやりたいこと、やるべきことをみつけてやる限り、サポートはしていきたいですね。何事も諦めるのは簡単だし、やるもやらないもすべては本人次第です」
2度目の涙から約10日後の11月半ば。ウイングスは6年生8人のために、全国3位の東京・不動パイレーツを地元の野球場に招いて“卒団記念試合”を行った。
「がんばってきたキミたちを全国に連れていってあげることもできずに申し訳なかった。最後にこれくらいのことしかできないんだけども…」
プレーボールを前に、6年生を集めて話す指揮官の声は心なしか震えていた。その目をじっと見つめている背番号1の顔も印象的だった。
卒団生たちはやがて、場内アナウンスと下級生のハイタッチに迎えられて順番にフィールドへ登場。アップテンポの音楽が流れる中でポジションへ散っていく面々へ、対戦相手の不動ナインもベンチ前から手拍子を送っていた。
いつもはクールなエースが、試合中も仲間のプレーに白い歯を見せて笑っていた。そしてマウンドでラストゲームを締めた。
「今日は最高に楽しかったです。こんな経験も初めてで感謝しかない。みんなと離れるのは嫌だなと思いますけど、ウイングスに来てたくさん成長できたので、監督には卒団式でお礼を伝えたいです」
吉川ウイングスも、オール東海ジュニアも、今年は全国出場を果たせなかった。しかし、湊には2チーム分の思い出があり、仲間たちがいる。オール東海の旧友たちへも何かメッセージを。取材者が求めると彼は即答した。
「小学生がゴールじゃないので、これからも頑張ってください!」
それはまるで、自身にも言い聞かせるかのようだった。
(写真&動画&文=大久保克哉)